公募美術団体 一般社団法人 旺玄会

公募美術団体 旺玄会は公募展「旺玄展」への出品者を募集しております。

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  • 公募美術団体 旺玄会 略史
    旺玄会創立者 牧野虎雄大正13(1924)年、当時帝展委員で審査員であった牧野虎雄が、盟友である熊岡美彦、高間惣七等と、「槐樹社(槐樹社)」を結成しましたが、この団体は、帝展が外光派中心の保守的な傾向であったのに対し、後期印象派やフォーブなどの新しい傾向を取り入れた会派で、帝展の傾向に飽き足らない若手作家にとって、格好の発表の場となっておりました。
    昭和6(1931)年12月、その期待の星とも云うべき「槐樹社」が解散したことで、画壇に衝撃が走りましたが、昭和7(1932)年、槐樹社同人の内、小林喜代吉、上野山清貢、岩井彌一郎等が、牧野虎雄を盟主とする「旺玄社」を立ち上げ、広く出品者を募って昭和8(1933)年3月、東京府美術館で、第1回展を開催致しました。
    以来良質で個性的な作風と公平な審査を特色として12回まで開催し、画壇に独自の地位 を築いて参りましたが、大東亜戦争の激化により、昭和19(1944)年10月、他の美術団体同様、一時中断のやむなきに至りました。
    昭和20(1945)年8月の終戦後は、「旺玄社」の同人達がいち早く合い寄り、「旺玄会」と改称、昭和22(1947)年1月、再興第1回展を東京都美術館で開催しております。
    再出発した旺玄会は、順調に規模を拡大して行きましたが、やがて、会内に日展系で行くか、在野を貫くかと云った路線上の問題や、主導権争いなどで しばしば論争が発生し、有力な作家が新しい会派を設立して脱会していくと言う事態が10年ほど続きました。
    そうした傾向に歯止めをかけたのは、旺玄社時代からの同人であった、小林喜代吉、鈴木金平、小林猶治郎等で、その指導精神は、創立以来の原点に戻ることでした。
    以来無用な論争は姿を消し、昭和50年代には、作品水準や会の規模に於いて、わが国の画壇にあって堂々たる地位を占める団体に成長を果たしております。
    会勢の拡大に伴い、それまでの代表委員中心の運営では、十分な機能を果たすことが出来ないという判断から、平成21(2009)年11月に固定事務所を開設、平成22(2010)年10月に、法人申請を行い、「一般社団法人旺玄会」となりました。
    同じ頃、東京都美術館の改装工事があり、平成22(2020)年と平成23(2011)年は上野の森美術館で「旺玄展」を開催しましたが、平成24(2012)年からリニューアルされた東京都美術館に復帰、その際の記念行事である「公募団体ベストセレクション展」に出品する27団体に旺玄会が選ばれたことは、会の大きな誇りと自信に繋がりました。
    その後は、平成26(2014)年の第80回記念展で、「瓢人先生(牧野虎雄)とその時代」と題する草創期の著名画家を集めた企画展示、牧野虎をモデルに書かれた八田尚之の小説「瓢人先生」の復刻版刊行、それを映画化した「生きている画像」を上映する等の記念行事を開催、令和元(2019)年の第85回旺玄展では、第80回展では取り上げなかった会史上の重要作家による「旺玄会史を彩った作家達」と題する企画展を開催し、会の内外に歴史の厚みを紹介するなど、会イメージの向上に力を尽くして参りました。
    令和2(2020)年、全世界を震撼させた、新型コロナウイルスの脅威により、会は大きなダメージを受けましたが、展覧会そのものは、第89回展から完全に正常に復する共に、現在、その間に生じた組織上、財政上の損失についての復興計画が順調に進行しており、令和6(2024)、記念すべき第90回展を盛大に迎えることになりました。